2021年12月25日。世間はクリスマス。
一年で最も、カップルが誇らしげに街中を闊歩する日です。
そんな日に私は、福島での復興活動に取り組む友人に連れられ、2011.3.11で甚大な被害を受けた福島県の浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町を見学してきました。
実は、福島県に行くのは初めて。
震災当時は小学校5年生だったので、今でも川崎で体感した地震の経験や、テレビで連日流れていた被災地の様子は鮮明に覚えています。しかし、地震の被害以外は津波も原発事故もあくまでテレビで見る光景であり、川崎に住む自分にはそこまで関係ないだろうと思っていました。
もっと言ってしまえば、「東日本大震災」はどこか別の世界の出来事くらいに思っていた節も否めません。
綺麗ごとを言えば、もちろん私も被災地の復興を願う想いや風評被害への憤りなどはありましたが、「自分がそれに対して何かしよう!」と行動に移す事はありませんでした。そして、現在そういう人は私以外にも多いんじゃないかと思います。
また、震災当初は被災地に対して何かしら活動をしていたり寄付をしていた人でも、今ではめっきり何もしなくなった人も多いんじゃないでしょうか。
しかし、現場に足を運んでみると、まだ依然として震災の傷跡が癒えない福島の現状がそこにありました。
3.11で時が止まったファミリーマート
川崎から車で福島まで行くと、いわき市から楢葉町を通って浪江町まで北上するルートで被災地に入ります。時間にして約4時間の道のりです。
被災地に入るとまず目に入るのが廃墟となった住居。それだけでなく、ガソリンスタンドやファミレスなど街の殆どが3.11で時が止まり、ゴーストタウンとなった光景が見られます。
初めて見た光景に衝撃を受けました。
こちらは大熊町で廃墟となったファミリーマートです。福島第一原発からそう遠くない所に店を構えていましたが、震災から約10年が経過してもこの様な状態で放置されています。ドアが開けられているのは泥棒が入ったからだとか。
「日本人は礼儀正しい」と、ネットやテレビでは綺麗事が言われていても、現場では震災後に様々な犯罪が起きていた事も事実です。
実際に宮城県では、住民が避難した事による住居や商店への空き巣・店舗荒らしによる窃盗被害は、震災直後の2011.3.30(震災から26日後)に既に1億円以上、ATMの窃盗被害は7月に1億8千万円となっています。
しかも、これはもとから悪い人(ヤクザや不良の類)の犯行ではなく、普通の一般人がこうした犯行を行っていたそうです。
「日本人は素晴らしい」と、大衆迎合の為に一部だけを映し出すメディアへの疑問と共に、災害を契機として簡単に罪を犯してしまう人たちの事を思うと、今の日本が潜在的に孕んでいる闇の様な物を感じます。
今の日本はもはや砂上の楼閣なのではないかと思う時がたまにありますが、まさにこの瞬間にそんな気持ちになりました。
新聞も当時のままで残っており、内容を見ると時の流れを感じます。福島はまだ、震災から時が止まった状態の地域があるのです。
被災地の事を特に考える事もなく、悠々とこの10年間自由に生きてきた事に対して、何だかいたたまれない想いになりました。
震災当時の様子をそのまま残す震災遺構・浪江町立請戸小学校
震災遺構として当時のまま残されている請戸小学校を見学してきました。2021年10月24日から一般公開がスタートしたと言います。
中に入ると、震災の教訓を伝える伝承施設という名の通り、当時の様子をまざまざと感じる事が出来ました。
震災後、校舎に戻った人たちのメッセージが残されています。これを見ると泣きそうになるのは私だけでしょうか。
海から300mの所にある請戸小学校。校舎内は津波の傷跡が今もなお残ります。
高さにすると建物の二階ほどの位置にまで津波がきていた事がわかります。
請戸小学校では1.5㎞離れた大平山に避難する事で全員が助かったそうです。この施設の見学を通して終始泣きそうになるほど当時の震災の様子をダイレクトに感じる事が出来ました。
そして、離れた所からではありますが、福島第一原発のあるエリアを眺めてきました。想像よりも意外と何もない普通の場所なんだなと拍子抜けでしたが、日本を揺るがす大災害を引き起こした原発を一度確認する事が出来て良かったです。
海岸には植林が進められています。
浪江町の一部の道の駅では、ラッキー公園の開園を始めとして復興が進んでいる印象を受けました。意外と人も沢山来ており、普通の道の駅と変わらぬ雰囲気です。
また、福島では「福島イノベーション・コースト構想」という国家プロジェクトが立ち上がっており、東日本大震災及び原子力災害によって失われた福島県沿岸部の産業を回復するために、新たな産業基盤の構築が行われています。
医療、農林水産、ドローン、環境・エネルギー、航空宇宙など、震災で広大な土地が生まれたからこそできる新たな産業が国の投資によって勃興しているのです。
震災は”過去”の”ある地域”の出来事なのか
初めて福島の被災地を訪れて、東日本大震災当時の記憶がフラッシュバックすると共に、これを他人事で済ます事は出来ないという強い気持ちを抱きました。震災から10年を経て、多くの人は当時の災害の記憶が薄れているかもしれません。しかし、被災地の復興はまだまだ道半ばであり、これから更に多くの人が関心を持って携わっていかなければいけない問題です。
当時は流行った支援活動や募金活動も今では殆ど見かけませんし、当時活動していた人たちは今や復興の活動などしていない人が殆どです。
また、復興庁の復興大臣も大臣ポストを増設する為の物として形骸化しています。私の地元からも復興大臣が選出されていましたが、記者会見で福島の帰宅困難者について尋ねられた際に、「それは福島県の問題なので関係ない」と言い切っていた事に憤りを感じざるを得ません。
そして、毎年”東京”で行われる慰霊式典に出席する政治家はいるものの、毎年福島や被災地を訪れて熱心に復興に向けて活動している政治家は殆どいません。私が復興活動を精力的にしていると名前を聞いた国会議員は2人だけでした。
国会議員だけでなく、多くの人は震災に対して「過去の」「ある地域の」出来事だと思っているからこそ、この様な現状なのだと思います。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
東日本大震災と原発事故は、私達が住む国で起きた未曽有の災害です。四方八方を海に囲まれ、地震大国であり、カーボンニュートラルを目指す上では原発の稼働は避けられない日本において、私達自身がこの災害について学び、取り組み、語り継いでいかなくてはなりません。
震災や復興の問題は、「昔の」「誰かの」問題ではなく、私達日本人が直面している問題なのです。これは戦争についても全く同じ事が言えると思います。
こうした災害や戦争の記憶を教訓として未来に繋げる為には、我々一人ひとりがしっかりと学ぶことが大切なのではないでしょうか。現場に赴き、当事者と対話し、いま自分が何をするべき考えていかなければなりませn。
私は初めて福島に行った事で、自分にできる事から継続的に進めて行こうと思いました。皆さんも、一度は3.11の被災地を訪れ、そして災害と復興について考えて頂きたいと思います。
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