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《世界史解説》世界有数の名門貴族ハプスブルク家②仏革命~WW1





①では、マリー・アントワネットが処刑された所で終わりました。

という事で今回はその続きから…。

まだ①を読んでない方は先にこちらをご覧ください。

《世界史解説》世界有数の名門貴族ハプスブルク家①誕生~マリア・テレジア

フランス革命とその反動

マリー・アントワネットの処刑に対してオーストリアはフランスに大激怒し、フランス革命を潰すためにフランスに出兵します。しかし、フランス革命軍の国粋主義に圧倒されてしまい敗戦。

さらにフランスにナポレオンの台頭によって一気にハプスブルク家は苦境に追い込まれてしまい、そしてアウステルリッツの三帝会戦に敗北したことにより、神聖ローマ帝国はついに崩壊してしまいます。

しかし神聖ローマ帝国はなくなったものの、元々ハプスブルク家が治めていた領地をオーストリア帝国として続いていくことになっていきます。

神聖ローマ帝国が崩壊したのち、ハプスブルク家はオーストリア帝国の君主として君臨するようになり、ウィーン体制の指導者としてヨーロッパの中で影響力を持つようになりました。

しかし、鉄血宰相ビスマルクの富国強兵政策によって、プロイセン王国の方がオーストリアよりも旧神聖ローマ帝国内で影響力を持つようになってしまい、1866年には普墺戦争にてオーストリア帝国はプロイセン王国に敗北します。

これによってハプスブルク家は旧神聖ローマ帝国での権威、権益を完全に失ってしまい、さらには多民族国家だったということが原因で国内情勢が不安定なものとなってしまいます。

アウスグライヒ(妥協)

ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世はこのような状況に対してアウスグライヒ(妥協)を行い、オーストリア帝国の中でも特に多かったハンガリー人と同君連合国として、オーストリア=ハンガリー二重帝国という国を成立させます。

つまり、今までは

オーストリア>>>(ハンガリー、チェコ、スロバキア、クロアチア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア、イタリア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

だったのが、

オーストリア≧ハンガリー> (チェコ、スロバキア、クロアチア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア、イタリア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

になったのです。

 

これを機に帝国内の各少数民族が、次々にハンガリーと同じような権益を求めていきます。

(´⊙ω⊙`)「俺も俺も!」

画像2

第一次世界大戦開戦とハプスブルク家の終焉

そしてこの混乱の中、ついに1914年を迎えたのでした。

1914年6月28日オーストリア皇太子夫妻(皇帝の甥)がセルビアを訪問した時にセルビア人の青年によって暗殺されました。(オーストリアとセルビアの領土問題が原因)

これに対し、皇太子の暗殺に激怒したオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世がセルビアに宣戦布告したことによって第一次世界大戦が勃発してしまいます。

画像3

しかし第一次世界大戦が勃発し、各国が挙国一致体制、総動員体制を築く中、多民族国家のオーストリア=ハンガリー二重帝国は一つにまとまりきれず、何も対策をすることができずに4年後の1918年には同盟国であったドイツとともに敗戦してしまいます。

フランツ・ヨーゼフの後を継いだ皇帝カール1世はスイスに亡命し、遂に約650年の間中欧に君臨し続けてきたハプスブルク家は終わりを迎えたのでした。

しかし、ハプスブルク家から独立を果たした国々はその後共産主義の侵攻による悲惨な歴史を辿る事になります。

それを見て、
イギリスの首相ウィンストン・チャーチルはこう言いました。

「ハプスブルク王朝が滅亡しなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の歴史を経験しなくともすんだであろう。」イギリス首相ウィンストン・チャーチル

②完



人物解説:エリザベート(フランツ・ヨーゼフ1世の妻)

バイエルンの公女としてハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフに嫁いだ悲劇のヒロイン。夫を愛し、美を追求した現在のオーストリアでも高い人気を誇るハプスブルク家最後の皇妃です。

今でもオーストリアの観光スポット、ガイドブックはシシィ(エリザベートの愛称)で溢れ、オーストリアだけでなくハンガリーでもシシィの愛称で慕われています。

彼女の歴史がハプスブルクを凝縮した歴史と言っても過言ではありません。

《世界史解説》ハプスブルク最後の皇妃エリザベート!~数々の舞台や映画の題材になるその数奇な運命とは~

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