政治 -politics-

【政治】音喜多駿の社会主義的思想

リバタリアンを自称している政治家、音喜多駿の社会主義的思想(弁証法的方法論)を今日は少し考えてみようと思います。

音喜多さんを知っている人は「音喜多さんが社会主義的思想?!」と驚くかもしれませんが、レーニンやスターリンの著書を読んでいくと音喜多さんと彼らマルクス主義者の根本的な思想の共通点が見えてくるのです。

※音喜多さんの考えの一部が少し弁証法的方法論に当てはまるだけであり、音喜多さん自体が社会主義者だとかそういっている訳ではありません。

音喜多さんは頻繁に「ブログを毎日書け!」とおっしゃっています。

圧倒的な量で質を担保し、量をこなすことで必然的に質もあがっていくということです。

なので、音喜多理論に照らし合わせると、”インプットができていないから毎日ブログは書けない”と言っている人は論外なのです。

アウトプットし続けることによって日々の”インプット”が生まれてきます。

毎日のアウトプット習慣がない人には、いつまでたっても日々のインプット習慣はつかないのです。

とにかく、毎日量をコツコツと書き続け、質を変化させることが大切だということになります。

そしてこの音喜多さんの主張は、マルクス主義における弁証法的方法論と同じことを言っています。

進歩的な要素が自然成長的にその日々の活動をつづけ、古い秩序のなかへ小さな量的変化を場合もちこむばあい、その運動は進化的である。(スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論』p,15)

また、進歩的な要素が結合し、単一の思想でつらぬかれ、古い秩序を根絶し、生活のなかに質的変化をもちこみ、新しい秩序をうちたてるために、敵の陣営におそいかかるばあい、その運動は革命的である。(スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論』p,15)

弁証法的方法論において、この進化的運動はそれが積み重なると革命的運動に変化します。

つまりは、「小さな量的な変化が結局は大きな質的な変化をもたらす」ということです。

マルクス主義はこれを社会主義革命論に応用していますが、さすがに音喜多さんはそんなことはしていませんね。

しかし、普段は現実ではどこか遠い存在に感じる社会主義の元となる思想を、身近な人が言っていると何だか不思議な気持ちになり、あながち社会主義的思想の全てが間違っているという訳ではないんだなと感じました。

だからといって勿論、僕が社会主義(あるいは共産主義)になびくことはありませんが、そういった自分とは正反対の思想を勉強することで新たな発見もあるのではないかと思います。



【政治】音喜多駿の社会主義的思想” への1件のフィードバック

  1. タイトルがやや過激かな。理論的には正しいよね。私もこの問題は関心持ってますが…マルクス主義とマルクス経済学とマルクスレーニン主義をくらべる必要がある。老眼と脳細胞減少ではかどりません

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