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始まりは3000年前?!パレスチナ問題を巡る歴史的経緯をわかりやすく解説

国際的に大きな話題となっているイスラエルとパレスチナの対立の激化

現在、パレスチナ自治区ガザにおいて、パレスチナ武装組織ハマスイスラエル軍による7年ぶりの大規模な戦闘が行われています。

この衝突の核心にあるのは、言わずもがなユダヤ教イスラム教キリスト教の聖地であるエルサレムを巡るイスラエルとパレスチナの長年にわたる緊張関係です。

当ブログでは、この戦闘の激化の要因と、中東問題について数回に分けてわかりやすく解説していく予定です。

今回は、パレスチナ問題についてわかりやすく解説します。

パレスチナ問題の概要

パレスチナ問題とは、聖地エルサレムに自らの国家を確保したいユダヤ人(ユダヤ教徒)パレスチナ人(イスラム教徒など)の、土地を巡る争いの事を言います。

ヨーロッパで長く迫害されてきたユダヤ人の間では19世紀末以降「かつてユダヤの王国があった中東の地に、世界各地で続く迫害からユダヤ人が逃れられる自分たちの国を作りたい」というシオニズム運動が始まりました。

それに加えて、ナチスのホロコーストやソ連におけるポグロムも重なった事で、多くのユダヤ人がイギリス領であったパレスチナに渡り、1948年イスラエルの建国を宣言します。

それは何千年も前にユダヤ人がこの地を追われて以降、長らくこの地に住んでいたイスラム教徒やキリスト教徒、つまりパレスチナ人にとっては「侵略行為」でしかありませんでした。

周辺アラブ諸国も、当然イスラエルの建国を認める事はなく、戦争へと突入していくのです。

イスラエルは、多大なアメリカの支援を受けた事によって第一次中東戦争に勝利し、国家基盤を作ります。

そして1967年の第三次中東戦争ではパレスチナ全土を占領しました。

イスラエル軍は2005年にガザ地区からは撤退したものの、未だに広い範囲で治安権限を握っているのが現状です。

関連:パレスチナ問題 Wikipedia

パレスチナを巡る歴史

パレスチナの歴史は、紀元前15世紀まで遡ります。

当時はエジプトによって支配されていました。その後は、ペリシテ人の文明が盛えていましたが、紀元前1230年頃に、エジプトでラメセス2世の圧政から逃れたユダヤ人が定住し始めます。(出エジプト)

ピラミッド
エジプトのピラミッドとラクダ

実は大昔に存在した、ユダヤ人の国

紀元前1000年頃にヘブライ王国(首都エルサレム)が建国され、ユダヤ人の国が建国されます。

皆さんも一度は聞いたことがあるであろう、ダヴィデ王ソロモン王はこの時代の人物です。

栄華を誇ったこの二人の王の時代が終わると、ヘブライ王国は紀元前922年に北のイスラエル王国と、南のユダ王国に分裂します。

しかし、イスラエル王国は当時オリエント世界の覇者であるアッシリア帝国、ユダ王国は新バビロニアに滅ぼされてしまうのです。

国を失った民の運命

その後も、ヨーロッパ、アジア、アフリカを繋ぐ最重要拠点であるこの地域は、軍事や地政学的重要性から相次いで周辺大国の支配を受ける事になります。

135年には、世界最強のローマ帝国に支配されました。

皇帝ハドリアヌスは、幾度も反乱を繰り返すユダヤ人に対して、アイデンティティを奪う事を意図して、この地をユダヤ人が定住する以前に住んでいたペリシテ人の名を引用して「パレスチナ」と名付けます。

そして、キリスト教が誕生して布教されるようになると、思想が相いれないユダヤ教は迫害されるようになります。

こうした一連の過程の中で、ユダヤ人はディアスポラ(離散)を繰り返しました。

イスラムの興隆

7世紀以降になると、この地にはイスラム系の帝国が侵入を始め、ヨーロッパは十字軍を派遣して一時的に取り返す事はあれど、結局はこの時代以降イスラム勢力に支配されて行きます。

16世紀にはオスマン帝国がパレスチナの支配者となり、近現代までその支配は続きました。

19世紀を迎えると、世界的にナショナリズムが高まりをみせ、各民族に民族意識が芽生える事によって国民国家の建国を目指す潮流が生まれます。

ユダヤ人もこれを機に、オスマン帝国領パレスチナへの入植者が増加していきました。

また、オスマン帝国の国教でもあるイスラム教は、キリスト教の排他思想とは異なり、キリスト教徒でもユダヤ教徒でも、税金さえ払えば普通に暮らして良いという考えであったので、金融に強い民族でもあるユダヤ人は、オスマン帝国において比較的のびのびと暮らし始めます。

関連:多様性は難しい。-ヘイト問題、移民問題、イスラム問題

イスラム
イスラム教とモスク

イギリスの三枚舌で泥沼化する聖地

そして、時は第一次世界大戦

1915年、当時の大国イギリスは、ドイツの支援をするオスマン帝国と戦う為、現地のアラブ人の協力を得ようと、パレスチナにアラブ人国家を建国すると約束したフサイン=マクマホン協定を結びました。

これはユダヤ教もキリスト教も共生する多民族国家ではなく、敬虔なイスラム国家を望むアラブ人にとって、非常に魅力的な提案でした。

しかしイギリスは翌年、味方の士気を高める事を意図してか、英・仏・露で戦後のオスマン帝国の3分割を約束したサイクス=ピコ協定を結んでしまいます。

ただ、戦争に勝つ為であれば平気でうそをつくイギリスの暴走はそれだけではすみません。

その翌年に、ユダヤ人(金持ちが多い)が金を出して協力すれば、パレスチナにユダヤ人の国を作る約束をしたバルフォア宣言をしてしまうのです。

これによって今まで何千年も迫害され、離散を繰り返してきたユダヤ人は世界中から一斉にパレスチナを目指します。(シオニズム運動)

そして、その世界的なシオニズムの熱量に押されたイギリスをはじめとした列強諸国は、第一次世界大戦後イギリスの委任統治領パレスチナの創設を決定したのです。

更に第二次世界大戦を経て、ホロコーストへの同情集めたシオニズムは、アメリカや国連を動かし、ユダヤ人の悲願でもあるイスラエル建国へと繋がります。

しかし、これには現地のパレスチナ人も周辺のアラブ諸国も黙っているはずがありません。

ここから幾度もの戦争を重ねて行き、パレスチナ問題は泥沼化していくのです。

パレスチナ
パレスチナの人達

ユダヤ人はなぜ迫害されるのか

ユダヤ人がここまで歴史的に迫害される理由として、宗教的理由が大きく上げられます。

ユダヤ教へのアンチテーゼとして出現したキリスト教の布教が最大の要因でした。

この二つの思想は相いれる事無く、ユダヤ教はキリスト教の拡大にあわせて迫害を受けるようになっていくのです。

また、国を持たない事自体が迫害の理由としても挙げられると思います。

つまり、迫害されている事が迫害の理由となってしまっているのです。

そして、宗教的意味合いが薄れると、政治的理由から迫害、差別の対象として扱われる事となりました。

ナチスのホロコーストに代表されるように、「反ユダヤ主義」というような形でナショナリズムを高揚させる為、政治利用されていたのです。

これは日本における嫌韓や、韓国における反日などと似たようなものかもしれません。

関連:ユダヤ人 世界史の窓

関連:世界史解説:神聖ローマ帝国による対オスマン帝国プロパガンダ | Wagoo! (taiki-wago.com)




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TAIKI
1999年、川崎市出身の大学生。明治大学文学部在学。趣味は歴史研究、読書、旅行。若者の政治参加推進を掲げて幅広く活動しながら、参議院議員の音喜多駿に憧れ、政治について勉強中。雑記ブログを2019年10月7日より毎日更新中。2020年10月、赤羽でBARをスタート。地元PRメディア「なかはらPR」を一人で運営。