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【歴史】サルでもわかる、「明治維新」の流れ(前編)

今回は、日本史における改革を語るうえで外せない出来事、「明治維新」について、その流れ「明治維新」の果たした役割について二回にわけて書いていきます。

 

明治維新の流れ

①討幕運動

皆さんご存じの通り、江戸時代の日本は鎖国状態にありました。

そんな中で、1853年にペリーが黒船で浦賀に現れ、江戸幕府はアメリカと不平等条約を締結することになるのは有名な話ですね。

それに対して、日本国内では攘夷思想(外国人を倒せー!という思想)や国防意識に拍車がかかり、幕府への反感が高まります。

当時の大老、井伊直弼幕府に反対する者を処罰する「安政の大獄」を起こすと、彼は後に白昼堂々暗殺され、幕府の権威は失墜し、反幕府思想もどんどん蔓延していきました。

そして、敵対関係だった長州藩と薩摩藩が同盟を結ぶと、一気に倒幕思想が強まっていきます。

そんな中、1867年、天皇から薩長両藩に向けて出されたのが討幕の密勅です。(つまり、幕府は天皇の敵なので倒せという命令が出された。)

物語はここでいよいよ、「討幕だー!」と、盛り上がっていきそうなのですが、15代将軍、徳川慶喜は同じ日に、自ら政権を返還する大政奉還をおこないます。

これで、いったん朝廷に政権を返すことによって朝敵となることを避けたのです。

慶喜は、「幕府に政権がなくなってしまえば討たれる筋合いはない、しかし、あくまでも日本の4分の1を占める巨大な領地は返さずにいれば、新政府になっても自分が中心に立てるだろう」ともくろみました。

出し抜かれた討幕派は、明治天皇に「王政復古の大号令」を発令させ、江戸幕府を廃止して慶喜の領地を返還させます。

これによって、江戸時代は幕を閉じていくのです。

そしてその後は、旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍によって「戊辰戦争」が勃発し、これに新政府軍が勝利したため、その後の日本では新政府が政権を握ることになります。

まずはこれらの出来事が、一部の日本人の倫理観を大きく変化させました。

黒船来航は、鎖国をしていた日本に外国の先進的な文化や思想をもたらし、「社会の安定が唯一の正義」という徳川幕藩体制の倫理観を否定し、「今や世界は進歩の時代だ」日本に知らしめることとなったのです。

②中央集権化 -天皇は東京へ-

戊辰戦争に勝利した明治政府は、天皇と中央拠点を京都から東京へ移動させ、天皇を中心とした中央集権国家を目指します。

時代が変わったとはいえ、260年以上も続いた幕府体制を変えることは簡単ではなく、早急に各藩に対する政府の権力を強め、明治政府が実権を握る必要がありました。

そこで1869年に行ったのが「版籍奉還」です。

これによって、各藩が所有している全ての土地と人民は天皇のものだと示しました。

版籍奉還は歴史的にあまり話題になりませんが、1591年に豊臣秀吉が定めた身分制度以来、280年続いた制度を終わらせたという重要な出来事であり、町民でも農民でも出世できる世の中になったのです。(今でいう公務員改革)

封建的身分社会から近代的職能社会へ

しかし、依然として藩主(大名)が藩政を継続するという状況が続きました。

すると明治政府は、1871年に「廃藩置県」を実施します。

これは全国の藩を廃止して、中央政府が管理する県と府に置き換えるもので、知藩事(旧藩主)の代わりに府には「府知事」、県には「県令」を中央から派遣する事にしたものです。

これを実行するうえで、中央集権化をはっきりと示す政策に批判が起こることが考えられたため、明治政府は軍事力を強化して一気に断行し、国の形を示していきました。

 

今日はこの辺で。

③、④は明日投稿します!

後編はこちら↓↓

【歴史】サルでもわかる、「明治維新」の流れ(後編)




【歴史】サルでもわかる、「明治維新」の流れ(前編)” への3件のフィードバック

  1. なるほど政策や制度を追って行くと理解しやすい。英雄譚としてとらえると本質を見失いますね。幕府側の人物はキャラが薄いから名前出ても単なる社会情勢…

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