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15万人以上の被害者を出した川崎大空襲から76年 -市内で感じる当時の爪痕

本日、4月15日で「川崎大空襲」から76年となります。

川崎市は太平洋戦争時、軍需産業の一大拠点として米軍のターゲットとなっており、1944年以降空襲が本格化すると、度々大きな被害を受けていた地域です。

そして1945年4月15日に最大規模の空襲が行われます。

川崎市は200機余のB29 による大規模爆撃を受け、特に川崎市中心部南武線沿いの工場が集中している地域は、壊滅的な被害を受けました。

全半壊家屋33,361戸、全半壊工場287、罹災者は10万人以上というこの爆撃は川崎大空襲と名付けられ、語り継がれることとなります。

(総務省のHPより引用)

戦前から川崎市では重化学工業を中心として産業が発展しており、軍需生産でも重要な役割を果たしていました。

臨海部に大規模工場が多くあり、また多摩川沿いを走る南武線沿線に戦時経済の拡大に伴い、その当時の最新の設備を持つ工場が次々に造られていったという経緯がありました。

そのため、米軍から最重点の攻撃目標の一つとされていたのです。

毎年この時期になると、中原区木月住吉町にある川崎市平和館では、川崎大空襲の「記録展」を開催しています。

僕も子どもの頃親に連れられて行った記憶があります。

今年は、戦時下の市民生活にスポットを当てており、「草の根」から戦争に動員された市民の記録や、政府の戦争へ扇動記録を紹介しているようです。

地元の歴史について、しっかりと知り、そして後世に残して行くことは、文化面だけでなく街づくりや産業においても非常に重要なことだと感じます。

その為にも、地元愛や地域の繋がりといったものを中原区ではもっと広げていきたいですね。

そしてこの平和館は、僕が個人的に川崎市の方には一度訪れて欲しい場所の一つ。

平和公園という大きな公園にも隣接しているので、いつも休日に子連れで来ている方々も多い気がします。(もう何年も行けていないので、僕も近いうちに行きたいと思います。)

川崎大空襲というと、確かに聞き覚えのある方は少ないのかもしれませんが、僕はこうしたブログを通して、地元の歴史や文化を後世に伝えて行く存在でありたいです。




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TAIKI
1999年、川崎市出身の大学生。明治大学文学部在学。趣味は歴史研究、読書、旅行。若者の政治参加推進を掲げて幅広く活動しながら、参議院議員の音喜多駿に憧れ、政治について勉強中。雑記ブログを2019年10月7日より毎日更新中。2020年10月、赤羽でBARをスタート。地元PRメディア「なかはらPR」を一人で運営。