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北方領土問題とは:四島返還論はありえません!!(後編)―四島返還論は各々の思惑の結果

前回のブログで、サンフランシスコ平和条約締結時点での日本の主張は二島返還であったという事を書いていきました。

今回は、鳩山政権に交代し、アメリカとソ連との思惑の中で、日本はどのように四島返還論に舵を切ったのか考えて行きます。

ドキュメント 北方領土問題の内幕 ──クレムリン・東京・ワシントン (筑摩選書)

吉田茂、アメリカの思惑

1954年、アメリカはソ連に対して覚書を送っています。

その理由は、歯舞諸島の上空で訓練していたB29をソ連が撃墜させた為です。

アメリカの主張として「クリル諸島に歯舞諸島は入らない」という事をアピールしたい狙いがあったようです。

当時のアメリカの思惑は、日ソ関係を悪化させ、日米関係を安定させたいというものでした。

その為、ダレスの「歯舞諸島をソ連から取り戻すためには戦争しかない」という発言からもわかる通り、ソ連が返還する気が無い事は承知の上で、日本の主張を支持していたのです。

(1955年4月の国家安全保障会議(NSC)文書において、歯舞・色丹に対する主権をソ連に要求する日本の主張を正式に支持)

そして日本はと言うと、吉田政権から鳩山政権に移り、外交の方針も転換します。

鳩山政権の方針は、アメリカからの自立(再軍備もいとわない)、ソ連・中国との国交、2島返還論(潜在主権でも可)です。

つまり、憲法改正、日ソ交渉を非常に重視していました。

ちなみに吉田茂は、まずは日米関係の安定を望んでいたので、ソ連と仲良くするのは得策ではないという考えです。

外務省などの吉田系の人間たちは、歯舞・色丹返還を徹底主張すれば日ソ交渉は崩れるだろう・・・と思っていたようです。

日ソ交渉とマスコミのリーク

そしてそんな状況下で、ロンドンでの交渉が始まります。

交渉における日ソの立場は以下の通りです。

<日本>

南樺太・全千島の返還を要求するが、あくまでそれは通らない事が前提で、歯舞・色丹返還の貫徹を期すとの訓令を松本全権へ

<ソ連>

フルシチョフが、日米関係が好転するのは好ましくないと判断し、マリク全権が歯舞・色丹の返還を承諾

このソ連の想定外の対応に、二島返還であれば交渉は行き詰ると思っていた日米関係重視派の人間たちは動揺します。

そして、外務省は「二島返還に対して、四島返還南サハリン・千島については国際会議で決めるべし」という新たな案を策定しました。

つまり、四島返還論は日ソ交渉を行き詰まらせる為に、二島返還論に対抗して出てきたのです。

ただ、これはあくまで外務省から出てきた一つの案なので、決定事項でも何でもありません。

しかし、この外務省の案が朝日新聞にリークされ、二島返還をソ連が主張している事が世間に広まる前に、四島返還論が日ソ交渉における日本の譲歩案として世に知られる事となり世論形成されて行きます。

二島返還をソ連が主張している事をリークしても時すでに遅し、日本国民はソ連への譲歩案として四島返還を望むようになるのです。

そして実際の交渉の場において、訓令通りに松本全権は四島返還を要求しますが、もちろんこれは断られ、交渉は途絶してしまいます。

この直後、自民党結党大会で、既に世論として形成されていた四島返還論が党議として採択され、事実上の国論になっていくのです。

いかがでしたでしょうか。

北方領土問題というセンシティブな話題で国論とは違う主張をしているので批判は覚悟で書いています。笑

しかし、そもそもなぜ四島返還が叫ばれるようになったのかという過程を知っておくのは日本国民として大切な事ではないでしょうか。

ドキュメント 北方領土問題の内幕 ──クレムリン・東京・ワシントン (筑摩選書)




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TAIKI
1999年、川崎市出身の大学生。明治大学文学部在学。趣味は歴史研究、読書、旅行。若者の政治参加推進を掲げて幅広く活動しながら、参議院議員の音喜多駿に憧れ、政治について勉強中。雑記ブログを2019年10月7日より毎日更新中。2020年10月、赤羽でBARをスタート。都内での活動を経て、2021年より衆議院神奈川10区金村りゅうな事務所スタッフとして活動中。