政治 -politics-

【政治】AIがネットワーク化された時代に期待される人間像の考察

AIネットワーク化検討会議 報告書2016
「AIネットワーク化の影響とリスク -智連社会(WINS(ウインズ))の実現に向けた課題-」

まずは上の報告書をご覧ください。

この報告書にある通り、AIのネットワーク化は産業構造の変化を引き起こし、それに伴って社会で求められる人間像も変化していくことが考えられます。

今回はそのような急激な社会の変化が起こりうる現代社会において、どのような人間像が求められているのかを考察していきます。

まずAIのネットワーク化が引き起こす影響ですが、AIのネットワーク化は産業構造の変化において、社会の各分野で自動化が進展していく可能性が考えられ、それは人々の働き口、働き方、そして働く内容を左右し、さらに社会を構成する人間の生き方に関する価値観、及び仕事で求められる能力を左右し得ます。

また、人間の身体とAIネットワークシステムとが連携することによって、人間の潜在的能力が拡張することが考えられ、人間の潜在的能力の拡張という可能性は人間の思考や行動の前提を変えるものであることから、社会を構成する人間の生き方をこれまた左右し得ます。

こうした場合に、我々はAIネットワークシステムとどのように共存していくか、共存していく社会の中でどのような人材が求められているのかを考えなければなりません。

平成28年6月20日に行われたネットワーク化検討会議において、人間とAIネットワークシステムとが共存する段階における社会を構想した場合の目指すべき社会像として、智連社会(Wisdom Network Society:WINS ウインズ )が掲げられました。

この智連社会という社会像は、「高度情報通信ネットワーク社会」及び「知識社会」のような「情報」・「知識」(知)に着目した従来の社会像の次にその実現を目指すべき、「智慧」(智)に着目した社会像として構想されたものです。

智連社会という概念は、単に「人間とAIネットワークシステムとが共存」 するという客観的な状況を描写するにとどまるものではなく、「人間がAIネットワークシステムと共存」するという人間の主体的な営みに着目する概念であり、人間が社会の中心として人間がAIネットワークシステムを主体的に使いこなす社会を目指すべきというものです。

この智連社会は元官僚で作家の堺屋太一氏の著書『知価革命』(PHP研究所、1990)で述べられているポスト工業社会、知恵が価値を生み出すという知恵の時代、すなわち知価社会と同じ概念であると考えられます。

では、智連社会ではどのような人間像が求められるのでしょうか。

AIのネットワーク化はかなりの経済効果を生み出し、新たな雇用も創出するものと考えられていますが、同時に、定型的業務(簿記仕訳、パラリーガル等)のみならず知的業務といえども、AIネットワークシステムによって代替することが技術的には可能となります。

2019年12月の臨時国会において、「学校図書館で子どもの読書や学習を支える学校司書の配置増を求める国会決議案」に対して、与野党で唯一「日本維新の会」が「近い将来、司書の仕事は人工知能(AI)で代替可能になる」と反対したことからも、今後は日本社会において雇用とAIの関係に大きく注目が集まりそうです。

AIネットワーク化に関する雇用の議論が進展していく中で、人間に残される仕事の特徴としてはクリエイティヴィティ、マネジメント及びホスピタリティです。

人間はアイディアを生み出す仕事や人間相互間の高度なコミュニケーション能力(リーダーシップ等)を必要とする仕事を担うようになるものと考えられています。

そして、AIネットワークシステムの知能を活用してデータ・情報・知識を解析し、新たなデータ・情報・知識を創造することが可能となる社会の到来が予測される中で、解析したデータ・情報・知識に基づき、知能を活用することにより、物事に対処する人間の能力が求められると見られます。

更に技術革新の変化に合わせて、必要な仕事を人間に任せ、ほかの仕事をコンピュータに任せていくという再編成のプロセスが重要であり、事業再編成能力が必要となるのではないでしょうか。

企業の枠を越えたコミュニケーション能力、異文化の人たちと議論して、共通の解を見出し、新しい提案をしていくという積極的な交流の能力・リーダーシップが必要となると思われます。

このように、人間に求められる能力が単なる認知能力(読み、書き、そろばん)から非認知能力(事業再編成能力、コミュニケーション能力、全体をデザインする能力等)にシフトすることが示されていますが、AIのネットワーク化の進展を見据えて、AIネットワークに代替されないこれらの能力の育成のために、初等教育から高等教育までを通じて体系的な教育・訓練が可能となるよう抜本的な教育改革が不可欠です。

ですが堺屋太一氏によれば、そもそも現在の日本は高度成長期の成功体験である生産の合理化(規格大量生産)に埋没してしまっているといいます。

戦後30年は「大型化、大量化、高速化」の時代であり、日本は規格大量生産によってこの時代で成功しましたが、80年代からはすでに世界は「多様化、情報化、省資源化」の時代であり、日本は未だ過去の成功体験に埋没していてこれについていけていません。

智連社会すなわち知価社会にこれからの日本が対応していくためには、既存の官僚主義を排除し、地方分権のための道州制、小さな政府、規制緩和などによってこれからの社会に適合できるような社会構造改革をしていかなければないと考えられます。

日本全体が相互扶助、構成員の幸せを追求するための共同体(ゲマインシャフト)から外的な目的を達成するための機能体(ゲゼルシャフト)へ移行できるような教育が必要なのです。

このAIの時代に、日本は上記のような目的の変化に合わせて教育の仕組みを大幅に改革していかなければこれからのAIネットワークと共存して発展していくことは難しいでしょう。

その為には教育内容の変更のようなミクロ視点の改革ではなく、マクロの視点で、例えば学校選択の自由や教師採用の自由、学校設立の自由など教育の供給者たる学校側の体制、システムの変容を促さなければなりません。

そしてそれによって現在の学校教育にはない供給者側の競争が生まれ、能力のない教育者は淘汰されていくことになります。

自由競争の中で生き残った優秀で、従来のように身分化されていない自由な教育者によって真にクリエイティヴィティやマネジメント能力、人間味のある者たちが育っていきます。

これからの時代に求められていくのは、「AIがネットワーク化された時代に期待される人間像」を現代社会に当てはめて、現代社会のシステムに合わせて政府が「期待される人間」を作り出していくことではなく、現代社会のシステムそのものをマクロの視点でこれから求められる社会に当てはめて変化させていくことです。

政府は今持っている既得権益に甘えることなく、この問題についてもう少し真剣に考えていかなければならないのではないでしょうか。



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